自分で確認するまでは、信用しない購入しない
これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、そもそも口コミなどというものは、信じるものではありません。信じるとか信じないといった論争がネット上で展開されていること自体が不思議に思えてなりません。
口コミの存在を最大限に認めたとしても「それは参考にする程度で頼りにすべきものではない」と思っています。たとえばネット上ではなく、対面して人と人が話している会話の中にも「あの人の話は信用できる」とか「あの話には気をつけたほうがいい」などと言って、人は人を自然と選別していますが、それと同じことが口コミにも言えます。
参考にするのであれば、それを足掛かりにして自分で裏を取る必要が絶対的に必要になるのです。私は3年ほどまえに、抗がん剤治療の関係で医療用ウィッグがどうしても必要になり、急いでいたこともあって “このウィッグスゴクいい、おすすめ!”という口コミを頼りに製品を購入してしまいました。それ以来、口コミは一切信用せず、「自分で確かめて」、「裏を取って」、「連絡をして質問して」を徹底しています。
- 自分で確認するまでは信用しない。
- 質問ができて納得できるまでは購入しない。
- 自分で口コミするようなことはしない。
- 頼りにするのはリアルな友人とか先生、家族といった範囲。
ネット依存で広がる危険な結論型社会とは?
そして、自分への戒めとして口コミを信じたり真に受けてしまったりしても、
- 口コミに責任があるわけではない。
- 不確かな口コミを活用してしまった自分を反省すべき。
- そもそも、使い心地や感想は人によってマチマチ。
ということは肝に銘じています。当たり前のことなのに、私たちはネットに慣れすぎたり依存し過ぎたりしている日常の中で、“信用・信頼”というのをはき違えてしまっているように思えます。
例えば服や靴などでも、口コミでそれが評判になっていたら、それを信じてネット通販で購入してしまう人がいますが、私は必ずホームページで確認し、可能ならリアル店舗に行って、実際に履いたり着たりしてから購入します。そういう行動はごく当たり前なのではないでしょうか。ネットの世界では有名なある企業の経営者M氏が、『現代はネット依存が常態化して、結論・結果が先にあり、後に文句や質問がある時代。結論優先の世の中は人間から思考力を奪う』という主旨のことを喋っていました。
健常の人が“買い物を楽しむ”という感覚で、口コミを利用しネット通販を利用するなら取り返しがつきますが、私のように医療用ウィッグの購入となると、「ダメだった取り替えればいい、買い替えればいい」とはいかないのです。
脱毛して先行きが見えないだけでも精神的にダメージを受けているのに、それ以上余計なところにエネルギーを消費する元気はありません。大事なものになればなるほど口コミに依存せず、自分で確かめるのが当たり前というのが私の体験からの意見です。